2.2 依頼談話に関する日中対照研究
待遇表現の視点から、依頼者の依頼発話を取り上げ、その丁寧度を分析する先行研究が数多くあるが、例えば、柏崎(1992:307)はアンケート調査によって、「依頼文自体の丁寧度は違っていても談話パターンが同じであれば談話全体の丁寧度には差が見られない」とし、「依頼文の丁寧度の違いよりむしろ談話が如何なるステップを踏んで進んでいくかという談話パターンの違いが談話の丁寧度に影響を与える」と指摘した。同じく、熊取谷(1995:12)は「現実の言語使用の中で“依頼”を説明するには伝統的な発話行為理論だけではなく、“依頼”を談話行動として捉える必要がある」と述べている。このような共通認識の上で、依頼に関する日中対照研究も従来の発話行為レベルを主とするものから、談話レベルを主とするものへの視点変換が見られるが、依頼談話の全体構造を分析するものは極めて少ない。
本節では、日中対照研究の立場から、依頼談話に関する先行研究を依頼談話の局部を分析するものと、依頼談話の全体構造を分析するものに分けて紹介する。
2.2.1 依頼談話の局部を扱う先行研究
依頼談話の局部を扱う研究としては、依頼談話の中の談話の開始から依頼に至るまでの部分を対象とする謝(2001)と李(2002)がある。
2.2.1.1 謝(2001):依頼発話の切り出し方
謝(2001)は、日本人大学生同士と中国人大学生同士の間で行われる依頼会話を対象とし、会話実験および談話完成テストD.C.T(Discourse Completion Test)から集めた2種類のデータによって、談話レベルからみた日中両言語の依頼発話の切り出し方を研究した。そして、それぞれの会話の中で、依頼発話の切り出し方が、どのように相手との人間関係維持に機能しているかを考察した。
会話実験の結果として、日本人の大学生は、聞き手のネガティブ·フェイスを重視しながら、(1)のように、「注意喚起」→「見込みの確認」+「先行する補助使用」の順に依頼発話を切り出す傾向があり、中国人大学生は聞き手のポジティブ·フェイスを満たす言語使用を重視し、(2)のように、「注意喚起」の後にすぐ依頼発話を切り出していく傾向があると述べている。
(1)(謝2001:88)
BM11 あのさあ①、 →「注意喚起」
この間、この授業でさあ、
プリント出たと思うんだけど…。 →「見込みの確認」
YM25 はいはい。
BM11 休んで、もらえなかったからさあ、 →「先行する補助使用」
「人名」出たでしょう?。 →「見込みの確認」
YM25 はい、出ました。
BM11 ちょっともらえるかな、あの、コピーして。 →「依頼発話」
(2)(謝2001:89)
CBM1 「人名」② →「注意喚起」
「人名」さん
课上的英文讲义能借我看一下好吗? →「依頼発話」
授業の英語のプリントをちょっと見せてくれない?
COM2 可以啊。
いいよ。
謝(2001)は、日本人の会話では、主に(1)の①のような「感動詞」を用いて相手の注意を引き、聞き手を特定できる名前を呼ばないことが相手のネガティブ·フェイスを補償するが、中国人の会話では、相手の名前を呼びかける例2の②のような「名詞」は相手の「注意喚起」の機能以外に、あいさつの機能、または相手の存在を認知しているという意思表示の機能といったポジティブ·フェイスを満たす機能を持つと解釈している。さらに、会話実験とD.C.Tの結果を比較した結果、談話レベルからの言語使用の考察には、相手がいる会話実験の方がより適切だと指摘した。
2.2.1.2 李(2002):依頼の構造
李(2002)はロールプレイの手法によって、日本人母語話者同士と中国人母語話者同士による依頼談話を録音し、水谷他(1990)で作成された、談話の流れを支える「心的態度」を記述した依頼行動のフローチャートをもとに、依頼の談話を①依頼行動前の談話、②予告、③先行発話·応答、④依頼·依頼応答の四段階に分類し、日本語と中国語における依頼の談話構造の比較分析を行った。
その結果、「①依頼行動前の談話」における入室前のあいさつの有無、「②予告」の有無、「③先行発話」で間接的に依頼を表明するかどうか、「④依頼」における依頼の表明に差異が見られた。特に、依頼を表明する場合、日本人学生では「~んだけど(んですけれども)」という相手の反応を期待し、間接的に相手に働きかける表現の使用が多いと指摘している。
2.2.1.3 まとめ
以上、依頼談話を部分的に取り上げて分析した謝(2001)と李(2002)の研究結果をまとめて紹介した。両者の研究結果に対する筆者の考えを述べれば、以下のとおりである。
①謝(2001)の2種類のデータによる分析結果の差異から分かるように、談話レベルから依頼を分析する場合、談話完成テストより相手の相互作用がある会話のデータの方が適切である。しかし、謝(2001)と李(2002)の依頼談話に対する分析は依頼者が依頼意図を表明するところに止まり、依頼談話の全体像について言及していない。
②謝(2001)に指摘された現代中国語の敬意表現と言われる相手の名前を呼ぶ「注意喚起」の使用、および李(2002)に言及された日本語の特徴表現の一つと言われる「~んだけど」の使用から分かるように、表現形式も依頼談話の丁寧度に影響している。そのため、依頼談話の全体構造を分析する際、それぞれの言語における表現形式上の特徴も考察すべきである。
③謝(2001)と李(2002)は依頼談話を分析の対象にしたが、それぞれの分析結果からも分かるように、両者の研究は、依頼談話における被依頼者の参与の不可欠性が認められたところにとどまっており、依頼者と被依頼者の相互行為についての分析を行っていない。
2.2.2 依頼談話の全体を扱う先行研究
依頼者だけではなく、被依頼者の言語行動も視野に入れ、依頼者と被依頼者の相互行為によって依頼談話を分析する日中対照研究はほとんど見られない。管見の限りでは、顧他(1998)、施(2006)のみである。このように、会話·談話の全体的構造に関する研究が少ない理由として、山根(2002)は日常の談話においてどこまでを一つの談話をみなすかの認定の困難さやデータ収集や文字化の問題があることを指摘している。
2.2.2.1 顧他(1998):依頼会話のストラテジー
顧他(1998)は模擬会話によって日中両言語における依頼会話を集め、依頼会話のストラテジーの分析では、依頼者のストラテジーと被依頼者のストラテジーに大別して考察を行った。さらに、依頼者のストラテジーを依頼目的達成に対する依頼者の態度と対人配慮に、被依頼者のストラテジーを依頼に対する被依頼者の態度と対人配慮に、それぞれ分類した。具体的に述べると、依頼者のストラテジーを依頼達成に積極的な発話、中立的な発話、消極的な発話、対人的配慮の発話に区分し、被依頼者のストラテジーを依頼に対して積極的な態度を示す発話、中立的な態度を示す発話、消極的な態度を示す発話、対人的配慮の発話に区分した。この分類によって顧他(1998)は日中両言語における依頼会話のストラテジーの異同を考察した上で、依頼会話を「開始部」「中間部」「終了部」に分けて、それぞれの部分における依頼者による依頼のストラテジーの使い分けを対照して分析した。
依頼会話のストラテジーの日中対照の結果として、顧他(1998:26)により、次のことが指摘されている。
①中国人は意図をはっきり表す積極的な発話と消極的な発話を用いるのを好んでいるが、日本人は遠慮がちな気持ちを含む中立的な発話と思いやり、気配りを含む対人的配慮の発話を愛用している。
②中国人は依頼内容の正当性を論理的·明示的に示そうとする思考様式を持っているが、日本人は依頼内容を相手に心理的負担を与えないように間接的に伝えようとする思考様式を持っている。
2.2.2.2 施(2006):「依頼·断り」のコミュニケーション
施(2006)は「依頼·断り」のコミュニケーションにおける依頼者側と被依頼者側とのやり取りを相互関係と捉え、一連の会話展開の中で、依頼者と被依頼者が、相手の働きかけをどのように理解し、そして自分の意図をどのような配慮に基づいてどのように表明するかについて、日本人同士による電話会話と中国台湾人同士による電話会話の共通点·相違点を検討した。また、それぞれのデータを①依頼会話開始から「依頼行為成立」まで、②「依頼行為成立」から「断り目的達成」まで、③「断り目的達成」から会話終了までの3段階にわけて分析を行った。
その結果、「依頼·断り」のコミュニケーション全体において、被依頼者側は、依頼者側からの働きかけに一方的に反応するのではなく、コミュニケーションがよりスムーズに展開するように、本来依頼者側が中心に行う働きかけを先取りするといった、被依頼者側による働きかけがあると述べている。また、日本人同士の会話と中国台湾人同士の会話では、依頼の切り出し方や断りによって気まずさが増幅された会話の終わらせ方に違いが見られたという。
2.2.2.3 まとめ
顧他(1998)と施(2006)は談話における依頼者と被依頼者の両方に目を配り、依頼者と被依頼者の相互行為によって、それぞれ依頼談話全体のストラテジーと構造について分析を行った。両者の分析結果は依頼談話において被依頼者の参与が重視されるべきであることを示唆している。また、両者の研究では、依頼談話の全体構成を「開始部」「中間部」「終了部」という3つの部分に分け、それぞれの部分における依頼談話の特徴について分析が行われたが、顧他(1998)は依頼談話の全体を貫くストラテジーの傾向を究明したのに対して、施(2006)は依頼談話の全体における被依頼者の参与を見出し、特に依頼談話の「開始部」と「終了部」における談話の特徴を明らかにした。言い換えると、顧他(1998)の研究は依頼談話を静的に捉え、その動的な流れにおけるストラテジーについての考察をしていない。一方、施(2006)は依頼談話の主体となる談話の「中間部」に対する分析が足りない。これらの問題が生じた原因の一つとして、研究に用いられたデータの性質が挙げられる。具体的に言うと、顧他(1998)は模擬会話によって会話を収録したため、会話参与者が事前に会話の展開を予測でき、自然会話のようなバリエーションが見られない。その結果、会話の動的な流れが現れなかった。一方、施(2006)は電話での会話データを用いたため、より自然な会話を収録できたが、電話での会話は、特に会話の「開始部」「終了部」に決まった方式があるため、それが注目されたものと考えられる。会話の「中心部」に対してより詳細な分析が必要とされる。なお、電話での会話は、山根(2002:9)にも同じような指摘があり、「電話の談話のように談話の開始と終了がはっきりしており、収集が比較的容易なものに関しては多くの先行研究があるが、その他の談話に関してはその構造、そこに含まれる要素についてほとんど明らかにされていない」と述べている。
2.2.3 先行研究からの提示
以上、2.2.1.3と2.2.2.3で述べた依頼談話に関する先行研究の問題点から分かるように、依頼談話に関する日中対照研究の考察はまだ不十分である。
まず、依頼談話の局部ではなく、その全体構造を分析するため、自然なデータを用いる工夫をする必要がある。
次に、依頼談話の全体構造を大まかに「開始部」「中間部」「終了部」に分けて分析すると、談話の主体となる「中間部」の細部まで考察できない恐れがある。むしろ、会話参与者のやりとりがある程度整っている「開始部」と「終了部」に比べて、「中間部」における会話参与者のやりとりにはバリエーションが見られるし、発話の量も会話全体の大きな比率を占めている。そのため、会話の「中間部」について、より具体的な考察を行うべきだと思われる。
そこで、本研究では、依頼談話の細部まで観察して談話の動的な流れを分析するため、次項で示す佐久間やザトラウスキーなどによって提示された「話段」という単位を導入し、依頼談話の主体となる「中間部」のやりとりを考察する。次節では、「話段」という単位に関する先行研究を紹介し、本研究で「話段」という単位を用いる理由を述べる。