1.2 研究の背景
1.2.1 「依頼」研究の現状
「依頼」は社会に属する人間にとって普遍的な言語行動(人間がことばを使って何らかのコミュニケーションを行う行動)の一つだと言える。言語学において、「依頼」はしばしば研究対象として取り上げられてきた。例えば、日本語と関連するものとして、日本語による「依頼」の研究(岡本1986、鈴木1987、熊谷1995など)、日本語と他言語による「依頼」の対照研究(日中対照のものとして馬場·盧1992、謝2001など;日韓対照のものとして柳2012、厳2004など)、日本語学習者による中間言語としての「依頼」の研究(熊井1992、池田他2000など)がある。また、研究対象の視点からこれまでの依頼に関する先行研究をまとめると、概ね2種類のものに分けられる。すなわち、依頼談話における依頼者か被依頼者かの談話参与者の一方側を研究対象とするもの、および依頼者と被依頼者の両方を視野に入れ、依頼者と被依頼者の相互行為を研究対象とするものである。
さらに、「依頼」に対する分析は発話行為レベルから談話行動レベルまで発展してきた。例えば、熊取谷(1995)は現実の言語使用の中で「依頼」を説明するには、「依頼」を伝統的な発話行為理論ではなく、談話行動として捉える必要があると主張している。
発話行為理論は「ことばを使って我々はどのように行為を遂行するか」という問題を提起し、これに一応の答えを与えてくれた。しかしながら、この問題に対するより包括的な答えは「ことばのやりとりを通してわれわれはどのように行為を遂行するか」という問題へと視点を移動する必要がある。
(熊取谷1995:19)
「依頼」の研究においては、「依頼」を談話の中で捉える視点が欠かせないと考えられる。また、談話行動レベルから「依頼」を考察する際、依頼者と被依頼者の「やりとり」を重視すべきである。
しかし、現実として指摘しなければならないのは、数多くの先行研究は談話レベルで「依頼」を分析する場合、発話行為レベルでの考察と同じように、研究の焦点がほとんど依頼者のみにあることである。言い換えれば、先行研究はほとんど言語行動の指向性という視点から、言語行動としての「依頼」を分析しているが、その言語行動の土台となる依頼者と被依頼者のやりとり、いわゆる依頼談話を分析するものはわずかである。
1.2.2 対照研究の可能性をふまえた問題提起
片桐·井出(2009:6)によれば、人間の振る舞いは、行為主である個人の願望や信念によって規定されるだけではなく、所属する社会集団に共有されている暗黙の前提にも支配されている。言い換えれば、社会集団に依存する行動は、その社会集団が有する文化の規定する行動規範に支配されている。また、言語コミュニケーションを支配するある社会集団に固有の特徴を究明する際に、以下のような作業が非常に重要だと述べられている。
特定の理論的前提を持たずに、実際の言語実践活動の現われである自然談話の観察を基に、それぞれの言語行動の特徴を抽出し、なぜそのような特徴があるのか、そしてそれはどのような言語装置、あるいは社会集団に固有の文化的制約によって支持されているのかなどの問いを立てて分析·考察することである。さらに、必要なことは、異なる言語、異なる文化間での比較を通じて理論を構築していくという方法論をとることだ。
(片桐·井出2009:7)
同時に、言語学の分野における対照研究について、窪田(2001)の次のような指摘がある。
対照研究は、それぞれの言語を単独で研究するよりも、他言語と比較対照して分析するほうが、それぞれの言語事実がより客観的に解明できるし、その成果は外国語教育に直接応用できるという強い期待感に基づいていた。
(窪田2001:5)
片桐·井出(2009)と窪田(2001)の指摘をふまえて、筆者は対照研究の意義として、以下の2点を挙げたい。
①言語間の対照研究によって、それぞれの言語社会固有の特徴を明確にすること
②言語間の対照研究を通して、言語間の相違点を考察し、その研究成果を外国語教育としての言語教育現場に応用すること
上の2点に基づき、本書は、言語間の対照研究という立場を重んじて、日本語と中国語における依頼談話を分析するにあたって、2つの問題点を提示する。すなわち、以下に述べる「談話型」の視点と人間関係の在り方という2つの問題点である。
1)「談話型」の視点
従来の言語学の研究成果は、日本語の教授法にも反映している。談話の分析が盛んに行われる中で、ザトラウスキー(1986a,1986b,1987)は従来の日本語の教授法、つまり「構造文型」、「表現文型」に代表される教授法に対して、「談話型」に基づく教授法を提案した。
ザトラウスキー(1987:85)は「従来では、初級レベルで“構造文型”、中級レベルで“表現文型”のように分けて教えてきたが、むしろ初級から“構造文型”“表現文型”を含む総合的な“談話型”のアプローチを取ったほうがいい」と論じている。
Schegloff(1981)によれば、ディスコースというものは予定された計画を行動に移すものではなく、参加者達によって時間をかけて徐々に達成されていくものであり、参加者はお互いに話し合い、その共同作用によって自分達の目的を目指し、一緒に活動するものだという。ザトラウスキー(1987:86)はSchegloff(1981)を支持し、「コミュニケーションのための教授法は、生の話し言葉の資料から得られた「談話型」に基づくもの」であると主張している。
「談話型」について、ザトラウスキー(1986b)は次のように述べている。
「談話型」というのは、談話、会話のレベルでの話し手と聞き手のコミュニケーションの場面に関する全体を示す。言語的なものもあれば、非言語的なもの(例えば、身振り、視線等)もある。相手と会話を始めるためのきっかけや呼びかけ、会話を終えるしめくくりやあいさつ等も含まれている。
(ザトラウスキー1986b:99)
また、ザトラウスキー(1986b:99)は「談話型」の指導において、「話が進展していく中でそれがどういうふうに展開していくのかに焦点を当てる」、「対話者の発話へのかかわり方や流れを重視する」ことを主張した。さらに、「談話型」に基づく教材を作るに際しては、「まず実際の話し言葉から収集した談話を分析する必要がある」と指摘した。
その主張に即して、ザトラウスキー(1987)は勧誘の談話分析を行った。また、「談話型」視点の談話分析による研究は「文脈から切り離された言葉、文等から抽象的な構造を想定する従来の研究とは異なり、その会話がなされる場面の要素を考慮に入れながら、会話の流れの中での展開を重視しようとするものである」(ザトラウスキー1987a:34)と述べ、
①談話の内容展開
②談話の最小単位の指標
③参加者の主導権の交替
④①②③が重複する部分
という四つの項目で勧誘談話を分析した。そして、「談話型」視点の談話分析において、あいづち、ためらい表現、倒置文、接続語句などの機能を検討する重要性を指摘した。
本書では、以上のザトラウスキーの主張を支持し、「談話型」視点の談話分析を行うことにする。すなわち、本書では、「談話型」の視点から、談話の流れおよび談話における参与者相互のかかわり方、談話に見られる話し言葉の要素などに注目し、日中両言語における依頼談話を分析する。
2)人間関係の在り方
中根(1967:21)によると、ある社会が内的な変化或いは外的な刺激を受けた場合、その社会の社会組織などの外部から目に見えるものが変わっても、外部から目に見えないような、しかも個人の生活にとって最も重要な人間関係のあり方は変わりにくい。またこの関係のあり方はその社会の人々の考え方、行動様式などを決める基盤となっているという。さらに、中根(1967:70-71)は人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となり、社会組織においては、両者いずれも重要な関係設定の要因であるが、社会によって、そのどちらかがより機能をもつもの、また両者とも同等の機能を持つものがあると述べた上で、日本社会においては、タテの関係はヨコの関係に比較にならないほど重要な意味をもっていると指摘している。その一方で、大崎(2001:29)は、日本の集団的なタテ社会に対して、中国の「コネ」(中国語で「関係(グワンシー)」)を重視する人間のネットワークはヨコ社会であると指摘している。日本の「タテ」社会の実例として、中根(1967:92)は日本社会のあらゆる集団に強く存在している序列意識に注目し、学校という集団に所属している学生の間でも、一年生、二年生、三年生という序列意識は、成績とか能力を超えて強く見られると述べている。筆者自身は留学経験から言っても、「先輩、後輩」という上下関係の序列意識が日本の学校生活においてどれほど強く働いているかを痛感している。また、中根(1967:85)によれば、「序列という基準は、いかなる社会にも存在している」という。そこで、「タテ」社会に所属する日本の学校に見られるような「序列意識」は、「ヨコ」社会に所属する中国の学校にも見られると仮説を立てる。
人間関係のあり方がその社会の人々の行動様式などを決める基盤となっているため、ある社会における人々の行動様式を考察することによって、その社会の人間関係の在り方を窺うことができる。そこで、本研究では、依頼談話における談話参与者の相互行為を分析することを通して、日中両国の学校環境における「先輩、後輩」という序列意識の在り方を考察し、先に述べた仮説も検討する。