1.2 本書の対象と目的
本書は、認知言語学の意味観に立ち、複数の感覚にまたがり、「こってり」「あっさり」「しっとり」「さっぱり」「すっきり」という5つのオノマトペの意味を分析·記述することを通して、オノマトペの意味拡張を明らかにすることを主たる目的としている。
これらのオノマトペは、次のように用いられる。
(1)フランス料理はこってりしていて胃にもたれるといったイメージが強いが、消費者のヘルシー志向に配慮し、無農薬の野菜をふんだんに使った料理を増やしている。
(日経流通新聞1996.03.05)
(2)暑いと食欲が落ち、そうめんやそばなどあっさりした食べ物ばかり口にしがちだ。肉や魚、野菜などが欠けると、エネルギー源となるたんぱく質の他、ビタミンB1など疲労回復に必要な栄養が不足し、だるさの原因ともなる。
(日経プラスワン2010.07.24)
(3)肌にハリと弾力を保たせるアンチエイジングクリーム。翌朝まで肌が乾かずしっとり。
(BCCWJ『an.an』マガジンハウス2002)
(4)髪を切る間は鏡を見られなかったが、家で初めて鏡を見て、「さっぱりした姿に達成感があった」。前向きな気持ちが生まれた。
(中日新聞2005.08.09)
(5)新都心の玄関口であるのを配慮、すぐ隣の新宿モード学園やペデストリアン·デッキと色調などを統一、すっきりした景観をつくり出した。
(毎日新聞1990.10.29)
例(1)~(5)における「こってり」「あっさり」「しっとり」「さっぱり」「すっきり」それぞれの語は、五感の中でも「味覚」「味覚」「触覚」「視覚」「視覚」を慣習的に表す。
日本語のオノマトペには、五感に関わるものが豊富に見られ、それらは一般的に単一の感覚に還元することができない。本書の考察対象であるこの5つの語は、上記の感覚だけではなく、五感内の他の感覚を表すことができ、複数の感覚にまたがるものである。例えば、次の例(6)~(10)における「こってり」「あっさり」「しっとり」「さっぱり」「すっきり」は、それぞれ「触覚」「嗅覚」「味覚」「聴覚」「嗅覚」を表している。
(6)野村院長によると、ひびやあかぎれの症状には、血行を改善するビタミンが入ったタイプがいいという。こってりとした肌触りのものが多く、手に傷がある時に塗ってもしみない。
(中日新聞2013.02.02)
(7)宮城県丸森町の財団法人「阿武隈ライン保勝会」が24日から、町特産品でキク科の根菜ヤーコンを原料に開発した「ヤーコン焼酎もりもり」を、町の「蔵の郷土館·斎理屋敷」で販売する。試飲では「あっさりとした香りで飲みやすい」と好評。
(毎日新聞2010.06.24)
(8)好評なのはケーキ。しっとりした味で、ほのかに甘い香りがする。一般的にケーキ(スポンジ)の原料となる小麦粉(薄力粉)と比べて、玄米粉はグルテン(たんぱく質)が少ない。
(朝日新聞2003.01.13)
(9)今度はアコースティックギターを練習したが、さっぱりした音色にリッチさや色気は感じられず、徐々に弾き語りから遠ざかっていった。
(朝日新聞2002.09.26)
(10)JR九州は3月1日、ICカード乗車券「SUGOCA(スゴカ)」のサービス開始1年を記念して、ペットボトル入りのオリジナル緑茶「すごか茶」を発売する。伊藤園が九州産の茶葉だけを使用し、「すっきりした香りと、ほのかな甘み」に仕上げた。
(毎日新聞2010.02.27)
上掲の例は、例(1)~(5)に比べ、日本語話者にとって、慣習的な用法とは言えない。辞典に記述されていないことからも、それらの慣習性は低いと考えられ、従来の意味転用の考察においても十分に注目されていない。しかし、実例は存在しており、日本語話者にとって慣習的ではなくとも容易に理解できるものである。本書は、このような非慣習的な用法も含めて考察していく。
オノマトペの意味転用は、主に共感覚比喩の枠組みにおいて考察されてきた。その転用が一方向的であることが指摘され、共感覚比喩の「一方向性仮説」と呼ばれる。例えば、「あっさり」は、本来例(2)のように「味覚」に用いられるが、例(7)の「あっさりとした香り」は「嗅覚」に用いられている。「味覚」と「嗅覚」の共感覚が起こり、「味覚」から「嗅覚」に転用されている。この「味覚→嗅覚」の転用は、共感覚比喩の「一方向性仮説」に従う。一方、「こってり」は、本来例(1)のように「味覚」に用いられるが、例(6)の「こってりした肌触り」は「触覚」に用いられている。だが、「味覚」と「触覚」の共感覚は起こらないとされており、「味覚→触覚」の転用は、「一方向性仮説」に従わない。
Williams(1976)、楠見(1988)、山梨(1988)、国広(1989)などは、一部の例外を認めつつ、基本的に「一方向性仮説」を認めるが、実際の言語使用においては、「一方向性仮説」に従わない反例が多く見られる。小森(1993)は、共感覚表現の共感覚と原感覚の組み合わせの方向性は決して完全なものではなく、それぞれの表現は方向性や慣用性の点で柔軟さを持っているとしている。その他、瀬戸(2003)は日本語の形容詞、武藤(2003)は日本語オノマトペの「一方向性仮説」の反例を挙げている。特に、武藤(2003)は、食に関するオノマトペを対象にした共感覚体系を提案し、「一方向性仮説」が放棄されなければならないとしている。
このように異なる見解が見られることから、感覚間の転用の方向性については、再考する必要があると考えられる。本書は、考察対象の意味分析を通して、この問題の解明を試みる。
また、「一方向性仮説」に従う転用の中にも、慣習的な転用と非慣習的な転用が見られる。
(11)白や紫や紅など、日なたでは鮮烈な色が、夕景のにび色をまぶされて、しっとりと落ち着いた色あいを見せている。
(BCCWJ『笑い絵』出久根達郎 文芸春秋1995)
(12)高山市西之一色町の観光施設「飛騨開運乃森」でコアジサイが満開になり、淡い青色の小さな花がしっとりとした芳香を放っている。
(中日新聞フォームの始まり2007.06.21)
例(11)の「しっとり」のように、「視覚」への転用は慣習的であるのに対して、例(12)の「しっとり」のように、「嗅覚」への転用は非慣習的であると言える。「一方向性仮説」に従わない転用の実例の存在、及び「一方向性仮説」では成立するはずの転用であっても実例がほとんどないことは先行研究においてもしばしば指摘されているが、このように、「一方向性仮説」に従う転用の中に、慣習性の程度が異なるものが存在することは、注目されていない。その違いが何によるものであるのかを明確にする必要があると考えられる。
以上、考察対象である5つの語が五感に用いられる場合を見てきたが、これらの語は、次のような五感に関わらない場合にも用いられる。
(13)仏政府が用意してくれたプログラムは、連日3、4件の会見をこなすハードスケジュールだった。「移民問題」や「国防問題」などこってりしたテーマに、必ず時間通りに始まる正確さ。通訳の出番がないほど会見相手は誰も流ちょうな英語を話した。
(毎日新聞2002.12.24)
(14)一昨年末、静岡市の葵区役所に婚姻届を出した。仕事の合間に提出したので職員の滞りない手続きには助かったが、前日に緊張しながら書いた。淡々とした確認作業を見ながら「意外とあっさりしているんだな」と感じたのを覚えている。
(日本経済新聞2014.06.17)
(15)米国出身のリード姉弟組が「日本の美」を演出した。姉キャシーがあずき色の着物、弟クリスが黒の和服をそれぞれアレンジした衣装を着て、しっとりした演技を見せた。
(毎日新聞2010.02.22)
(16)大学の英語の授業はさっぱり分からないけど、自宅学習でなんとか頑張っている。
(中日新聞2014.07.30)
(17)フランスの経済学者トマ·ピケティの『21世紀の資本論』が話題になっている。といってもずっしり大部の原著はとても読めそうになく、経済誌の特集などをのぞいていたが、十日付朝刊「視座」欄の佐々木毅氏の明快なチャートですっきりとわかった。
(中日新聞2014.08.17)
例(13)~(17)では、5つの語がいずれも五感と関わらない抽象的領域に用いられている。各語それぞれその複数の意味·用法を記述した先行研究は、参考にすべき点も多いとは言え、これらの意味と前掲の五感に関わる意味との有契性は十分に説明されていない。本研究は、五感に関わる意味だけではなく、すべての意味の関連性を明らかにすることを目指す。
本書は、5つの語の意味を分析·記述することによって、それらの意味のネットワークが一般語彙と同じように捉えられるかを検証し、共感覚比喩について再考する。5語のすべての意味のネットワークを解明するにあたり、慣習性が低い意味·用法を排除するのではなく考察対象に含め、従来の研究では不十分であったところを補完することを試みる。